未来学舎設立のきっかけとなる
『私ごと』
『ダメな人間になってしまう』と自分に不安を覚え始めた子ども時代
自分は小学高学年くらいから同級生たちが興味関心を持っていることに同じようには共感できなくなり、いつしか「自分がおかしいのか?周りがおかしいのか?」と考え始めるようになっていました。それでも学校が嫌で休むことがなかったのは、周りに対して自己主張の強い子どもだったからだと思います。
この頃から、このままでは『ダメな人間になってしまうのではないか』と【自分】に少し不安を思い始めました。
『自分らしく』あろうと無理してた学生時代
そんな思いを持ったまま、大学生になり、3年の時に「自分らしく生きるんだ!周りがどう思おうと自分はこれでいいんだ!」とバイクにテントと寝袋を積み、日本1周に飛び出しました。その旅も1ヶ月になろうとしていた頃、北海道のとある民宿で、全国から集まって来ている旅人たちと、毎晩、酒を飲み、歌い、これまで出会ったことのない個性豊かなその仲間たちと、まっすぐに夢を語り合う日々を送っていました。
そんな折、不意に民宿のマスターから、「中島ちゃんは、福岡ではどうなのよ?」と聞かれ、「福岡ではですね。。。」と応えようとした瞬間、とめどなく涙が溢れ、言葉にすることができなかったのです。
それは「自分らしく生きるんだ!周りがどう思おうと自分はこれでいいんだ!」と福岡では気を張って強がって、頑張っていたことに初めて気づけた瞬間でした。そして、本当の自分らしさとは【気を張る必要も、誰かに強がる必要も、自分であることに頑張る必要もないもの】で、そんな自分らしさのままの自分が北海道で今まさにあることに気づいた瞬間でもありました。
違いを持った子たちと『笑顔を大切にし合う』
旅から戻り、大学生になってから、ずっと続けていた個別指導の塾でのことを振り返ってみると、いつも担当するのは、他の講師では心を開かせることのできない、意思疎通が難しい、ちょっと生きづらさを感じているのではないかと思う子たちばかりでした。その子たちに指導中に笑ってもらうことを最大の目標にして授業に望んでいたのは、また、その子たちと上手く関係を築いていけたのは、彼らと同じように自分自身が他の人との違いを違和感として感じ、生きづらさを感じ、彼らのことを理解することが自然とできたからなのだと思います。今思えば、彼らに笑い安心してもらうことは、実は自分自身が笑い安心したかったからで、そういう意味でいうと自分らしく「生きやすかった」からなのでしょう。
他との『違い』で苦しんでいる子たちを安心させたい、また『違い』を大切にし合う社会を求め始めたのは、そんな経験からだと思っています。
『意味・意義のある学び』とは
世の中の『人生の成功者』とは、よく勉強し、良い高校に進学し、良い大学に入り、大きな会社に入ることだと思っていました。なので、大きな疑問を持つことをしないまま、できる範囲内で受験の為の勉強をがんばり、志望の大学に入ることになりました。大学卒業後、同志と学習塾を設立し、北九州と宗像に3教室展開する塾では、勉強をがんばらせ、少しでも偏差値の高い高校、大学へ合格させることを目的に指導を繰り返してきました。
そんな中で、実力より高い偏差値である公立高校に親身になって教え込み見事合格させたある男の子との出来事は起こります。突然、夏休み前くらいに彼と母親が教室に来てこう言うのです。『先生方に入れてもらったのに高校を辞めてしまいました。本当にすみません…』。勉強に全くついていくことができなかったことが理由でした。『悪いのは自分たちだ。。。謝らないといけないのは自分たちの方だ。。。』と心の中で呟いていました。合格させることだけを考え、本当に必要なことを教えることをしなかった…。
このことが大きなきっかけとなり、『意味・意義のある学び』とはなんだろうと言う問いが生まれ、それが理由で単に点数をとる目的の学習指導をやめ、結果的に学習塾を辞める事となりました。
人はみんな違うし、そのままの自分でいることが大切なんだ
学習塾を辞めた後、ご縁をいただき、小中学校を不登校になったり、高校を中途退学したりする子たちに学習サポートすることを徐々に始めるようになりました。そして、これまでの気づきと、意味・意義ある学びを求めて、NPO法人未来学舎設立へと向かっていくことになります。